大会11日目
プー太郎生活2565日目。
第1試合は大差になると思っていた。これは後出しジャンケンではない。
何度でも書く。「下関国際をC評価として日刊スポーツの記者にはクソを食らわしたい」と。
そいつは、「報知高校野球」を全く読んでいないのであろう。そういうこっちゃ実にいかん。
序盤で試合が決まってしまったので眠気に襲われた。だから、そういうこっちゃいかんて。
今日も浜田OBの梨田氏が観戦に来ていた。横にナゾのおっさんとソフトバンクの浜田OBの和田が座っていた。
松坂世代で今も現役なのは和田だけである。やはり軟投派の方が速球派のピッチャーより投手生命が長いな。
ジャイアントキリングをした次の試合で敗れる。そういう試合を何度も見てきた。
それは大物チームを倒したことで全精力を使い果たし、余力が残っていないからであろう。
その例として思い出すのは、1991年夏の佐賀学園である。
1991年夏の大会の優勝候補筆頭は前年に優勝し、大型右腕の谷口ら好選手が揃う天理であった。
が、2回戦で若林のワンマンチームの佐賀学園によもやの敗戦。
天理で琴光喜になっていたわしが吐き倒れたのは書くまでもない。
それをタキザワに言ったら、「『天理が負けたことで吐いた奴が多いやろな』と思っていたわ」と、先輩のわしを奴呼ばわりしやがった。
それはいいけどよ、博打で負けた金はきちんと払えや。
天理を倒した佐賀学園であったが、次の柳川商戦で天理打線を1点に抑えた若林が打たれ、あっさり負けたのであった。
国学院栃木も、智弁和歌山を倒しながら九州学院にあっけなく敗れた。やはり余力がなかったと思われる。
それにしても、九州学院の右腕・直江は素晴らしいピッチングだった。
速球と変化球のコンビネーションが良く、相手に的を絞らせなかった。
攻めては、7回、8回の追加点が効いた。1-0のままだったら、どうなっていただろうか?
まあ、どのみち今日は国学院栃木が勝てる試合ではなかったな。
勝てる試合ではなかったのは、第3試合の敦賀気比もである。
2回裏に1-1の同点に追いつくのが精一杯だった。
その後は聖光学院が着々と加点し、終わってみれば、聖光学院8-1敦賀気比。
後半に追加点が取れなかったことに課題が残ったとはいえ、聖光学院は地味ながら好守にまとまっている。
次の九州学院戦は五分と見た。いや、聖光学院はわずかに優勢か?
第4試合は大阪桐蔭が大勝すると思っていた。誰もが同じ予想であったろう。
二松学舎の先発が今大会初めて登板する投手と聞いて、その思いが強まった。
ところが、4点こそ取ったものの、大阪桐蔭打線は糞詰まりという結果に終わった。
もっと得点できるチャンスがあったし、会心の当たりの長打がなかった。
それでも先発の川原がきっちり完封するのが大阪桐蔭である。
次の大阪桐蔭の相手は、プロ注目左腕・古賀を擁する下関国際か。
今日の試合で左腕に手こずったし、そうは簡単に得点できまい。
となると、秘密兵器じみた扱いの前田が先発か?
いずれにせよ、下関国際戦が春夏連覇へ向けて難関になることは確かである。
西武の内海が現役を引退か。今日の日刊スポーツの一面は内海の引退であった。
内海は人格者で知られ、後輩の人望も厚いという。
読売時代、戦力外になった野手がトライアウトに臨むと聞いた当時エースだった内海は、バッティングピッチャーを買って出たという。
そういうエピソードを知っていたので、アンチ読売のわしでも内海に対して、「打たれろ」とはあまり思わなかった。
以下は前にも書いたが、また書きたい。
内海が若手の時は、投手陣の雰囲気が最悪だったという。
それは灰汁がクソ強い工藤、桑田、上原の3人が幅を利かせていたからである。
その3人がチームを去ったことで、内海はそういう雰囲気を一掃したとのことである、
内海は、コーチとして読売に復帰するのが確実くせぇ。
プロでの実績と人格者ぶりからして、食いっぱぐれることはなかろう。
食いっぱぐれか…。わしがそうなったら弟に何とかしてもらうしかない。
兄貴としてのメンツなど何にもナイマンだ。
いやぁ、明日の休養日は有難い。7時半起きの金太郎アメで深刻な寝不足になっているんじゃい。
というわけで、今晩は最低でも9時間睡眠をノルマにしたい。了