大会12日目

 
 プー太郎生活2792日目。

 決勝戦は報徳学園が優勢かと思っていた。

 その理由は、投打に報徳学園の方が力強いこと、報徳学園が勢いに乗っていること、山梨学院の林の疲弊である。

 が、余力がなかったのは報徳学園の方であった。

 東邦、仙台育英、大阪桐蔭と強豪を次々と破ったことで力を使い果たしたようだ。

 今日は打撃陣が全体に淡泊で、林の術中に陥った。

 その林が大会MVPであることに文句を言う奴はいまい。

 それにしても、今大会の林のピッチングは見事であった。初戦から丁寧なピッチングで大崩れしなかった。

 ただ、山梨学院の林のボークで1点を先制された時は、嫌な形での失点だったことから報徳学園のペースになるかと思われた。

 ところが、5回裏に信じられないような連打が山梨学院に出た。

 この試合で山梨学院が放ったヒットは7本。そのうち5回裏に6本が集中した。

 こういう試合も珍しい。というか、記憶にない。

 報徳学園の大角監督は、
「継投のタイミングが遅れた」と言っていたのか。

 確かにそうだが、変わったピッチャーもホームランを打たれた。

 そのホームランも効いた。3点差か5点差かでは大違いなのは南海権左でもわかる。

 山梨学院の吉田監督としては、5点差であっても安心はできなかったであろう。

 秋の神宮大会で英明に4-0から逆転負けしているからな。

 これで山梨県勢として初の優勝となった。

 これまでの選抜大会で山梨県勢で優勝の可能性があったのは、88年と90年の東海大甲府であった。

 だが、ともに優勝に手が届かなかった。中でも88年のチームは優勝候補の一角だったのだが。

 昨年の山梨学院も期待されたチームだったものの、春夏とも初戦で敗退した。

 それだけに吉田監督の喜びも一入だろう。

 吉田監督の身長は165㎝ほど。が、小力が半端なく、喧嘩で負けたことがないという。

 そういうエピソードを語る監督も聞いたことがない。

 報徳学園は3度目の優勝ならずか。

 報徳学園が選抜大会を制したのは、1974年と2002年の大会である。

 1974年は、さわやかイレブンの池田に勝っての優勝だった。

 2002年は大会前からダントツの優勝候補筆頭とされ、その力を遺憾なく発揮し、6日間で5勝した。

 ここで2002年は報徳学園で琴光喜になっていたことを付記しておきたい。

 やはり純粋に高校野球を楽しむというのはいいな。琴光喜になっていたことは、わしの黒歴史である。

 今大会は強豪校が理想的に分散し、番狂わせがなく、強豪校同士の対決が多く見られた。

 その点で今大会は大いに見応えがあった。

 今大会のベストゲームは、準々決勝の報徳学園-仙台育英であろう。

 こう書いていて、早くも選抜ロスに襲われている。

 ワールドカップサッカー、WBC、そして今大会と、始まるとあっという間に終わってしまう。

 救いはプロ野球とメジャーリーグが開幕したことと、夏の大会が4か月後にあることである。

 ほぉー。U18合宿メンバーから花巻東の佐々木麟太郎が漏れたか。

 高校通算ホームランの新記樹立たって、かわい子ちゃん投手ばかりからではな。

 意外だったのは、報徳学園の4番の石野が選外だったことである。

 智弁和歌山の中塚が選ばれなかったのも不思議だ。

 どういう選考基準かは全くナゾである。

 決勝戦と閉会式を見届けた後、読売-中日を見て吐いた。

 中日打線が打てないのは今に始まったことではないけどよ。

 ヤクルトはオスナの1発で1-0で勝ったのか。

 DAZNでヤクルト-広島に合わせたら試合が終わっとったわ。

 最後は田口が締めたって、今シーズンのクローザーは田口なのか? 

 いや、日替わりだろう。やはりマクガフの抜けた穴はでけぇ。

 広島とロッテは2試合連続で完封負けした。

 ロッテの熱烈なファンの太っちょは、さぞかし吐いておろう。

 しかも、相手は太っちょが大嫌いなソフトバンクだしな。

 気がついたら今日から4月だった。むろん、新しい出会いなど何にもナイマンだ。

 それより、またぞろ腰痛になったのがクソハガい。

 寝転がりながら選抜大会を見続けていたからか? 

 どのみちティップネスへの復帰は火曜からになる。

 月曜は排水溝の清掃で午後に家に居ないとならないからである。

 とりあえず、まだ手元にある痛み止めを飲んで、湿布薬を貼る。

 しかし、腰痛を発症したのが納得いかん。了

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