ご焼香
プー太郎生活3102日目。
今日からまた「である」調の文体に戻したいと思います。
以下、それにて失礼します。
天王台にご焼香に行くのに家を12時半に出た。
で、天王台に到着したのは午後2時半。
如何に天王台が遠いかを実感したわ。
とにかく常磐線の日暮里-天王台間が長い。
山手線の高田馬場から日暮里までは駅の数が多い。
そのうえ、天王台駅から元直属の上司の家まで徒歩約15分。
健康体であっても天王台から新宿まで通勤するのは大変なのに、パーキンソン病を患っていた身でよく通えたものである。
常磐線は、「混む」、「揺れる」、「客層が悪い」の三重苦だし。
わしのドアツードアの30分弱が如何に恵まれていたかを再認識した。
小太郎のことは、号泣組翁にはメールで、元上司にはラインで知らせていた。
元直属の上司のお宅に行く道すがら元上司に、「キムラ君のメンタルが弱いのは知っているから心配していたよ」と言われた。
元上司は、母親が亡くなった際、わしがボロボロだったことを目の当たりにしていたのである。
しかめっ面のお兄さんにも小太郎のことを話した。
猫を3匹飼っているということで、盛んに同情された。
わしの人に甘える性格は何ともし難い。
ご焼香に行くのは当初5人だったが、毛主席と大酒のみのおっさんも参じた。
それで、つごう7人。そのうち6人がチョンガーというのは、あり得ないチョンガー率の高さである。
7人がご焼香に来たことで、奥さんがいたく喜んでいた。
これもひとえに元直属の上司の人徳によるものである。
ご焼香の後、ひとしきり元直属の上司の思い出話をして、ご自宅を辞した。
天王台駅傍の飲み屋で飲むことになったが、わしだけお暇した。
とてもそんな心境ではなかったからである。
帰宅したのは、午後6時半。ヘトヘトになって帰ってきた。
家のドアを開け、小太郎が待っていない事実に打ちのめされた。
なんと寂しいことか。今もその寂しさと壮絶な戦いを展開している。
明日は待機という仕事が入っている。
それがなければティップネスに行ったと思われる。
懐かしい面々に久々に会ったことで、多少は気分転換ができた。
が、皆と話している時も小太郎のことが片時も頭から離れなかった。
それにしても、本当にきつい。
伊集院静香氏の「踏ん張らなければ光は見えない」を何とか実践したいものである。了