大会7日目

 
 プー太郎生活3482日目。

 横浜-沖縄尚学はロースコアの試合になると予想していたが…。

 乱戦になるとは予想もしていなかった。

 横浜にとって幸運だったのは、沖縄尚学の先発が左腕の末吉ではなく、右腕だったことである。

 それで初回に阿部のスリーランで先制できた。

 さらにリリーフした末吉からも3回に2点を挙げて、5-0とした。

 横浜の先発は織田。5点は織田にとっては十分と思われた。

 が、織田が3回裏に打たれて、1点差に迫られた。

 その時点での織田の降板は早過ぎると思ったが、指にアクシデントがあったのか。

 大会ビッグ3の織田、石垣、阪下がいずれも故障たぁ。

 3回裏ということで奥村頼人が準備不足だったのだろう、横浜としては凡庸な右腕2人が登板した。

 その2人が何とか踏ん張り、7回表に2点を加えて4点差とした時は、奥村頼人で逃げ切ると確信した。

 ところがである。

 7回、8回と、説明の仕様のない失点の仕方で3失点し、また1点差に追い上げられた。

 8回裏は尚もワンアウト2、3塁で、迎えるのは1番バッター。

 ここで横浜ベンチが左腕を投入した。

 「おい、おい」という声が出たが、三振に打ち取った。

 しかし、2番バッターのフォアボールで、ツーアウト満塁となった。

 横浜ベンチは、ここで奥村頼人をピッチャーに戻した。

 横浜、必死の防戦だ。

 3ボール・1ストライクまで行ったがフルカウントにし、最後はショートゴロに打ち取った。

 これで沖縄尚学の潮が引いて、9回裏は三者凡退。

 野球とはそういうものよ。

 横浜は8点を取ったが、相手エラーに恵まれての点も多かった。

 何と言っても7回表の8点目が効いた。

 ツーアウト1、3塁から奥村頼人が盗塁し、5番の小野が2点タイムリー内野安打。

 盗塁がなかったら1点止まりだったわけか。

 昨日の健大高崎-敦賀気比でもそうだったが、最後の1点は果てしなく遠いもの。

 沖縄尚学の比嘉監督も追いつけなかったことを敗因としていた。

 横浜はベスト8に進出したが、織田が投げられないようだとピンチである。

 織田以外の右腕が準々決勝以降の試合に通用するとは思えないだけに。

 第2試合は少し呆けて観ていた。

 そんなもん、第1試合の余韻が残っていたからに決まっているだろ。

 第2試合は西日本短大付が長打攻勢で勝った。

 フォアボールやエラーで出塁させたランナーをホームランで得点したのだから、相手の山梨学院に与えたダメージは大きかった。

 150㎞超の剛速球を投げた山梨学院の菰田が3回をノーヒットに抑えたが、菰田は3回限定での起用だったのか。

 その菰田は新2年生。今後が楽しみである。

 西日本短大付のエース・中野は、横浜打線からすれば与しやすいピッチャーと言える。

 なので、次の横浜戦は中野ではなく、ブルペンで投げていた左腕が先発してくると見た。

 横浜打線は左偏重もいいところだからな。

 それは東洋大姫路も同じで、今日の大きな敗因は、広島商の2人の左腕を居並ぶ左バッターがほとんど打てなかったことである。

 2回表に6点を先行されたことで焦りもあり、広島商の2人の左腕の術中に嵌った。

 その6点であるが、東洋大姫路に内野手に3つのミスが出てのものであった。

 記録上のエラーは1つであるものの、1イニングに3つもアウトにできる当たりをアウトにできなかったのでは、そりゃ、大量失点になるって。

 その3つのミスの1つは、ショートが取れる当たりのライナーを取り損なったものである。

 試合前にレギュラーのショートが体調不良で出られないと聞いた時に嫌な予感がしたが、その予感が当たった。

 それと、7回裏の本塁憤死もクソ痛かった。

 得点差、イニング、アウトカウントを考えたら、セカンドランナーはサードで自重すべきであった。

 ただ、ビデオで見たら、キャッチャーのタッチは空タッチに見えた。

 小倉元横浜高校部長が提言しているように、甲子園大会でのホームでのクロスプレーだけでもビデオ判定を導入するべきはないか? 

 わしは結果論に鬼である。

 だから、
「今日の先発は末永にすべきだった」と言いたい。

 いや、結果論ではない。

 今日の先発が木下と聞いて、もう柳の下の泥鰌はいないと思ったしだいである。

 結局は、絶対的エースの阪下が故障したのが東洋大姫路にはクソハガかったわけだ。

 それでは3強の一角が崩れたのも致し方ない。

 と、東洋大姫路の側からの金太郎アメ記述になったが、わしは東洋大姫路-智弁和歌山の再戦を見たかったんじゃい。

 もっとも、智弁和歌山が明日のエナジックスポーツ戦に勝つとは限らないが。

 明日は早実が登場する。

 1回戦の戦いぶりからすれば、聖光学院に負けることはないであろう。

 もしもがあれば吐き倒れるぞ。

 しかし、吐くことがなかったという大会も記憶にないな。

 最も吐いたのは、言うまでもなく81年の夏の大会である。

 思い出したくもない大会だ。

 ともかく、今大会もまだまだ吐く試合があることを覚悟している。了
 

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