ミスター、逝く

 
 プー太郎生活3553日目。

 ミスターが亡くなったか。

 いつかはこの日が来るとは思ってはいたが。

 ご冥福をお祈りしたいとか言い様がない。

 ミスターは、わしのガキの頃には既に神格化された存在であった。

 それは王大先輩もである。

 2人がミユキ野球教室に出演した回数が図抜けて多かったのは当然であった。

 だが、わしはミスターの現役時代は最晩年しか知らず、やたらゲッツーを打っていたという記憶しかない。

 わしがガキだった時、ライダーカードほどではなかったが、プロ野球カードがけっこう流行った。

 たまにミスターのカードが当たると、カードにはミスターを激賞する文言しかなかった。

 その中で覚えているのは、
「何をやっても絵になる男」という文言である。

 当時はその意味がわからなかったが、今にして思えば、よくわかる。

 ミスターはバッティングだけでなく、その派手な守備でもファンを魅了したということも知っている。

 今のところ廣岡達郎氏はコメントを出していないようだが、「
守備はオーバーアクションだった」と、嫌味を炸裂させる可能性が考えられる。

 廣岡氏がバッターで、ミスターがサードランナーだった時、ミスターがホームスチールに失敗して、廣岡氏が激怒したという逸話がある。

 廣岡氏は、それを今でも根に持っているか? 

 ミスターで敬意を表すべきことは、天才なのに、王大先輩とともに、多摩川グラウンドで泥まみれになって猛練習をしていたということである。

 それで野村克也氏がヤクルトの監督だった時に一茂に、
「お前もオヤジさんのように練習すればなぁ」と吐いていたという。

 現役時代の野村克也氏は囁き戦術で知られたが、ミスターには全く通用しなかったくせぇ。

 バッティングに全集中していたので、何を言っても耳に入らなかったとか。

 ミスターは野村監督に一茂を迫害されていると思っていたフシがある。

 それで野村監督が、
「長嶋に挨拶しても挨拶が返って来んのや」とボヤいていたと聞いたことがある。

 太っちょさんとミスターのことをサウナルームで話していたら、居合わせたじぃさんが、
「え、亡くなったの?」と驚いていた。

 その年代にはミスターは生き神様であったろう。

 スーパースターとして絶対値は、今の大谷のよりも大きかったのでないか? 

 なにせ当時は娯楽がクソ少なく、プロ野球は国民的娯楽だったからな。

 しかし、わしのオヤジはミスターを嫌っていた。

 
「俺は王は好きだけど、長嶋は大嫌いだ」と、何回も聞かされた。

 その辺の捻くれ様は、わしに遺伝しとる。

 選手としては偉大だったミスターも、監督としてはシャワシャワだった。

 80年に監督を解任されたことはミスターの黒歴史で、どの特番も取り上げないだろう。

 ミスターの代わりに読売の監督に就任した藤田監督の下、81年は読売が優勝しくさった。

 それで、優勝したのは長嶋遺産か藤田采配かで親子喧嘩になり、息子が父親を殺すという考えられない事件があった。

 プー太郎になったミスターは王大先輩とは違って、読売の監督の座に恋々とし、再度声が掛かるのを待ち続けた。

 それをゲンダイが、
「何とも女々しい男」と書いたことは書くまでもない。

 ミスターは天然だったことでも知られる。

 2000年のONシリーズと呼ばれた日本シリーズ前の宮﨑キャンプで、
「空気よし、酸素よし」と朗らかに言ったのには、「何、言ってんだ、このおっさん」と呆れたものである。

 これから数日はミスターの特番の金太郎アメになろう。

 天覧試合のサヨナラホームランや引退試合は見飽きたから、特番を見るかどうかはわからん。

 いずれにせよ、明日は各紙とも何面もぶち抜きで、ミスターの訃報を伝えよう。

 果たして、ディーリーや中日スポーツも一面をミスターとするか? 

 ま、どうでもいいけどよ。

 ミスターの訃報でやはりアカギの、
「人は皆、死ぬ。例外なんてねぇのさ」が頭を過った。

 今をときめく大谷もいつの日にか…。

 もっとも、その日の前に、わしはとっくに鬼籍に入っているがな。

 なんだかんだ言って、ミスターの死去はショックである。

 よって、今日はミスターのことしか書かん。了

次の日へ 前の日へ
日記トップへ HPトップへ