ベルギ−、思い出すW杯での熱闘
                    

                  
 ベルギーは日韓W杯における日本の初戦の相手であった。

※それにしても、いい試合だった。主審のベルギーびいきは今もって腹が立つけど…。

 ベルギーといえば、一昔前によく売れたベルギーワッフルやダイヤモンド製造がよく知られるところだが、ベルギーを語るうえで避けて通れないのが2つの民族の存在である。

 ベルギーでは、オランダ系のフラマン人とフランス系のワロン人の対立が激しい。フラマン人は農業の盛んな北部に居住し、保守的であるといわれる。一方、ワロン人は工業が発達する南部を拠点とし、革新的気質であるとされる。

 そして、放送、新聞、雑誌は、すべてオランダ語とフランス語に分かれている。小便小僧像で有名な首都のブリュッセルは、こうしたことを背景に両民族の居住地の境界線上に置かれた。

 19〜20世紀にかけての帝国植民地時代、ベルギーはヨーロッパの中堅国であったが、ザイール(現コンゴ民主共和国)を領土としていた。レオポルド二世の植民地政策は厳しく、ノルマを達成できなかった農民は手首から先を鎌で切られたという。

 1970年の旧ザイール独立後もベルギーと旧ザイールとの関係は深く、旧ザイールで産 出されたダイヤモンド原石は、ベルギーのアントウェルペンで研磨されて宝石となる。また、ベルギー代表の黒人快速ストライカー・E=エムペンザの両親は旧ザイール出身である。

*アントウェルペン…オランダ語での名称。フランス語ではアンベルス、英語ではアントワープ
 
 ベルギー代表チームは、そのユニフォームの色としぶとい試合ぶりから、「赤い悪魔」と呼ばれる。ベルギー代表の主将ビルモッツは、オランダ系、フランス系、アフリカ系から成る複族チームを見事まとめたのであった。


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