アフリカの国境線


 ヨーロッパ列強は19世紀中頃から資源を求めてアフリカに進出し、ほとんどの地域を植民地としました。

 そして支配国は、昔から農民や遊牧民が牧草地を求めて市場に通ったり、遊牧民が牧草地を求めて季節ごとに移動したりして同じ言葉が話されてきた地域を分断して国境線を引いたのです。

 アフリカ諸国の大半は植民地支配を受けて独立したため、同じ言語や文化を持つ人々が複数の国に分割され、異なった民族が同じ国に属するようになってしまいました。

 たとえばハウサ族はナイジェリアとニジェールに、マサイ族はケニアとタンザニアに分かれて暮らすようになってしまいました。また、ナイジェリアやザイールには200以上の部族が居住していますが、1つの国に2つ以上の民族がいると、支配する側と支配される側で内戦になりやすくなってしまいます。

 さらに国境線の存在は、かつて自由だった人・家畜・物資の移動の障害になるという問題も引き起こしました。

 こうしてみますと、今なおアフリカ諸国はヨーロッパ諸国が恣意的に設けた国境線に翻弄されていることがわかります。


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