アパルトヘイト


 南アフリカ共和国では、1991年に廃止されるまで、世界中の非難を浴びながらも、オランダ系の白人が中心となってアパルトヘイトと呼ばれる人種隔離政策が強行されてきました。

 同国では、80%以上を占める黒人など有色人種を20%にも満たない土地に押し込め、有色人種全員に身分証を持たせるなど、アパルトヘイトの名のもと非人道的なことが行われてきたのです。

 白人と有色人種が結婚するのはもちろん、交際することすらタブーでした。また、バスの停留所や公園の水飲み場なども、白人用と有色人種用とで分けられていました。その反発で白人の家がしばしば有色人種に襲われたりしました。そこで白人の家では有色人種の襲撃に備えて戸締りを厳重にし、猛犬を飼うなどしていたそうです。

 アパルトヘイトが強行されていた当時から日本は南アフリカ共和国から石炭や金などを大量に輸入していたので、日本人は名誉白人とされてました。しかし、ある日本のビジネスマンが南アフリカ共和国行きの飛行機で白人用の席に座ると、有色人種ということで有色人用の席に追い出され、有色人種用の席に行くと、今度は白人用の席へ行かされ、結局、ずっとトイレにいたという話があります。

 アパルトヘイトが撤廃されたことで、南アフリカ共和国はスポーツの国際舞台への復活も認められました。南アフリカ共和国(愛称・スプリングボックス)ではラグビーが盛んで、その実力は世界でも1、2です。国際舞台に復帰が認められた1995年の第3回大会は地元開催となり、見事初出場初優勝を成し遂げました。


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