マゼラン一行は16世紀前半に世界で最初に世界一周を就航したことで知られますが、南アメリカ南端とフェゴ島を結ぶ海峡を通過するのには難渋しました。
というのも、一帯は偏西風が吹き荒れることから波が荒いうえ、霧で視界が悪く、暗礁も多いからです。結局、5隻のうち1隻が難破、もう1隻がマゼランを裏切って引き返してしまったのでした。
しかし、この海峡の向こうに大洋が広がっていると信じていたマゼランは、いく筋にも分かれている複雑な水路をようやくの思いで通過し、大洋に出ることに成功しました。そして、その大洋が海峡に比べてあまりも穏やかだったことから、マゼランはその大洋を「平野な海」、すなわち、「パシフィック・オーシャン=太平洋」と名づけたのです。
しかし、マゼランは途中立ち寄ったフィリピンのセブ島で現地人の闘争に巻き込まれ、現地人に殺されてしまいます。結局、世界一周の航海は部下によって達成されたのですが、スペインを出発した時5隻のうち帰還したのは1隻のみで、237名いた船員もわずか18名に減っていました。
その後、マゼラン一行を悩ました海峡は、マゼランにちなんでマゼラン海峡と命名されました。でも、貴重な航海日誌を何者かに焼かれてしまったマゼランにとって、それは何の慰めにもならないでしょう。
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