1949年に誕生した西ドイツにとって、人的資源・マンパワーの回復も大きな課題でした。1945年の敗戦から1960年までの間に約2600万人の東ドイツ地域からの避難民などが流入し、この時点までの西ドイツの「奇跡の復興」を支える労働力となったのです。しかし、1961年のベルリンの壁の構築以降、東ドイツからの移住はできなくなりました。
そこで旧西ドイツ政府は、1960年代から70年代にかけて、トルコなどから大量に労働者を受け入れました。しかし、第一次オイルショックで旧西ドイツ経済が停滞すると、低廉な賃金で働く外国人労働者、とくにトルコ人労働者の存在はドイツ人の失業率の増加を招き、ドイツ人労働者にとって脅威となったのです。
近年はトルコ人労働者が単身労働者だけでなく、家族から成る社会を形成するようになりました。そこで旧西ドイツ政府は、彼らに対して国籍を取得してドイツ社会への統合を図るかか、帰国奨励金や帰国旅費援助を与えることによって母国に帰国するかの選択を求めるようになっています。
ちなみに、日韓ワールドカップで大活躍したトルコの代表選手にも、イルハン(日本でも人気のイケメン選手)やバスチュルク(森島に瓜二つの選手)などドイツ生まれも選手も数人いました。ドイツ生まれの2世の多くはトルコ語が話せないそうです。
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