伝説の怪物・江川卓


 銚子商は、1970年代前半から「黒潮打線」と言われた強打で鳴らしていた。その強打の銚子商と江川の作新学院が1972年の秋の関東大会で顔を合わせた。江川、伝説の高2の関東大会である。

 当時の江川はとにかく凄い投手だった。その剛球と鋭いカーブで、新チーム結成以来、無失点。三振は毎試合最低15は取っていた。それでも強打の銚子商なら、「もしかしたら…」と思われていた。しかし、当時の江川はモノが違った。

 あまりの剛速球に銚子商のバッターは当てることさえできなかったのだ。三振した銚子商ナインは真っ青になってベンチに戻り、一言もしゃべらない
。名将・斎藤監督も打つ手がなく、「これはパーフェクトを食らうかも」と腹をくくった。結局、メチャ振りしたバットにボールが当たって、運良くポテンヒットが出たが、銚子商はその1安打だけ。三振は20を数えた。そして、江川は続く決勝戦の横浜も19奪三振で悠々と完封した。

※当時1年生で控えピッチャーだった土屋(1974年夏に優勝投手となる)は、「あの時の江川さんは本当に凄かった。まさに怪物だった。打席で構えていると、物凄い球が頭めがけて飛んで来た。思わず腰を引くと、ギューンと曲がってストライク。後に進んだプロでもあんな投手を見たことがない。」と述懐している。


 翌年の選抜は「江川の選抜」と言われ、大いに盛り上がった。なにせ、江川は新チーム結成以来1点も取られていなかったのだから。

 作新学院は、開幕戦で西の優勝候補・強打の北陽と当たった。開幕戦の緊張感にも江川は全く動じず、初球、渾身のストレートを投げ込んだ。そして、そのあまりの速さに場内は大きくどよめいた。この後も江川は北陽の打者を全く寄せ付けない。5番の有田がファールチップで初めて江川のボールにバットを当てた時には大歓声が起きたほどであった。

 江川は、北陽戦を皮切りに、小倉、今治西も無失点に封じた。もちろん、いずれの試合も三振の山を築いて。四国王者の今治西が19三振を食らったことから、もう江川から点を取るチームはないと思われたが…。

 迎えた準決勝の相手は広島商。広島商の左腕エース・佃も準決勝までの3試合をすべてシャットアウトしてきた。そうしたことから、作新学院との準決勝戦は1点で決まると言われた。まさに、山田が2年生時の明訓−白新学院戦である。

 試合を前に広島商の名伯楽・迫田は、「江川も疲れている。1人最低5球を投げさせろ。くさいコースはすべてカットだ。そして、ホームベースの50分の1の外角球をおっつけろ。」という指示を出した。

 この試合、江川は疲労からかコントロールが悪く、四球を多く出した。しかし、江川は江川。肝心なところは三振を奪い、ヒットも許さない。そして、作新学院が4回表に先取点を取った。これで誰もが作新学院の決勝戦進出を確信した。しかし、ついに江川の無失点記録が途絶える時が来た。

 それは5回裏だった。ツーアウトでセカンドに四球で出たランナーがいた。バッターはエースの佃。やぶれかぶれで振ったバットにボールが当たると、ライト前へのポテンヒットとなり、ここに江川の0行進に終止符が打たれたのである。

 その後も投手戦が続き、迎えた8回裏。広島商は、2アウトながらセカンドに俊足の金光を進めた。まともにいったら、江川から点は取れない。そこで、広島商ベンチは、金光に3塁盗塁のサインを出した。

 金光はサイン通り3塁盗塁を敢行。これに慌てた作新学院のキャッチャー・小倉が3塁に悪送球。キャプテンが小躍りしながらホームに還ってきた。これが決勝点となり、江川の選抜は幕を閉じた。

 そして、江川最後の夏の大会。今度は145イニング無失点という記録を持って、江川は甲子園に乗り込んできた。

 当然のことながら、作新学院は優勝候補の筆頭。春に江川を倒した広島商、関東大会の雪辱を期す銚子商、打倒江川に燃える北陽、強打の静岡ら他にもズラリ強豪が顔を揃えたが、いずれの高校も打倒江川がそのスローガンであった。

 江川は、予選ではノーヒット・ノーランの連続だった。しかし、高2秋の関東大会当時の怪物性は失われていた。それは、江川を徹底的に走らせた監督が辞め、江川がランニングを手抜きするようになったからだと言われている。そして、それが1回戦から影を落としたのだった。

 1回戦の相手は柳川商。アイディア監督と言われた福田監督は、全員に打席でバントの構えをさせた。粘っこい相手の攻撃に手を焼いた江川は1点を取られたが、チームは延長15回にようやく決勝点を奪い、2−1で辛勝した。

 続く2回戦の相手は、秋の大会でキリキリ舞いさせ、新チーム結成以来、4連勝中の銚子商となった。

 この試合、江川は立ち上がりから調子が悪く、毎回ピンチの連続。しかし、なんとか0−0の延長戦に持ち込んだ。そして迎えた延長11回裏。江川は1アウト満塁の絶対絶命のピンチに陥り、降りしきる雨の中、球道の定まらない江川はカウント2−3にしてしまった。

 この大ピンチに作新ナインがマウンドに集まった。それまで江川1人がチームで浮いていたが、初めてナインが一体となったのだ。そして、ナインは江川に、「お前の好きなボールを投げろ」と言った。しかし、雨ですべった投球は高めに大きくはずれ、ここに怪物は散ったのだった。

 卒業後、当時の作新ナインは一度も集まっていないという。結局、怪物江川は孤独のままだったのかもしれない。

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