1956年のハンガリー動乱後、ハンガリーは、マジック・マジャールといわれたチームほどの優れたチームを輩出できていない。とはいうものの、1958、1962、1966年のワールドカップに出場するなど、しばらくの間高いレベルは維持してきた。
マジック・マジャール崩壊後のハンガリーにとってソ連は常に目の上のたんこぶであり、ワールドカップ本選やヨーロッパ予選でことごとく行く手を阻まれてきた。
1966年のイングランド大会の準々決勝においても、黒クモ・ヤシンの堅塁を突破できず、1−2でソ連に苦杯を喫した。ハンガリーがソ連に勝てなかったのは、ソ連戦となると、ハンガリー動乱の遺恨を晴らそうと力み返るからではなかっただろうか。
両者の因縁はいろいろとあり、1956年のメルボルン・オリンピックの水球のハンガリー・ソ連戦では乱闘騒ぎとなった。その乱闘でソ連選手に殴られて顔に大きなコブができてしまったハンガリー選手がテレビで大写しにされた時は、ハンガリー国民は怒りで震えたという。
時は流れて、1978年のアルゼンチン大会のヨーロッパ予選。この予選においてハンガリーは、ソ連と同じ組に振り分けられた。当時のワールドカップ本戦の参加国は16か国と少なかったことから、この予選では同じ組から1か国しか出場できなかったのであった。
そして迎えたハンガリーvsソ連のブダペストでの大一番。試合は激闘の末、ハンガリーが2−1でソ連を倒した。試合終了後、ハンガリーイレブンによるウィニングランが始まった。スタジアムに来ていたハンガリーサポーターは、「ワールドカップの予選を勝ち抜くよりもソ連に勝つことに意義があるんだ」と涙にむせんだ。
そして、サポーター全員で声の限りハンガリー国歌を歌った。ハンガリー国歌は叙情感あふれる感動的な旋律をしており、この感動的なシーンに取材に訪れていた日本人記者もいつしか頬を涙で濡らしていたという。
現在、ハンガリーはヨーロッパの三流国に落ちぶれている。それは、近年来、国が個人競技に重きを置き、サッカーを軽んじてきたからであろう。しかし、国民はあのマジック・マジャールに匹敵するチームがいつしか出現することを夢見ている。
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