日韓ワールドカップで日本がトルコに敗れた責任の一端はトルシエにあるだろう。勝っている時は動かないのは勝負の鉄則であるし、負けている時の采配も後手後手に回って、流れを変えることはできなかった。
この辺は、リスクを顧みずどんどん攻撃的な選手を投入し、韓国を勝利に導いたヒディングとは大違いである。監督としても人間としても未熟な男を監督に戴いていたことは選手にとって、そしてサポーターにとって、このうえない悲劇であった。
トルコ戦後、あの男が監督だったらとつくづく思った。あの男とは…。アルトゥール・アントゥネス・コインブラ、そう、ジーコである。
ジーコほど日本のサッカーを知り尽くしている男はいないだろう。そして、完璧なサッカー理論。人間性、カリスマ性も非の打ちどころがない。
かつてジーコは、「要請があればいつ代表監督を引き受けてもいい」と、日本代表サポーターが泣いて喜ぶようなことを言っていた。それなのに、なぜ日本サッカー協会はジーコを監督にしないのだろうか? それは例の唾吐き事件が要因であろう。
1993年。Jリーグ元年は熱狂のうちにシーズンが終わり、前期チャンピオンは鹿島アントラーズ、後期優勝は読売ベルディであった。アントラーズのエースは、ブラジルサッカー界の至宝・ジーコであった。ベルディには、時の日本代表のエース・三浦カズのほか、ラモス、武田、北澤、柱谷など人気選手が数多くいた。
そして、両者はチャンピオンズシップで雌雄を決めることになった。この年はベルディを優勝させようとシーズン中から再三審判のベルディびいきの判定がなされていた。その背景にサッカー界も牛耳ろうとした読売社長の渡辺の意向があったのは疑うべくもない。
特にアントラーズ戦でのベルディびいきの判定は目に余るものがあった。ジーコは常日頃から、「ベルディ戦では不可解な判定が多過ぎる」と怒っており、試合後に握手を求めてきた三浦カズの手を跳ねのけたこともあったほどであった。
そして事件は起きた。チャンピオンズシップは2回戦の合計で争われるが、第一戦を0−2で落としているアントラーズは、第二戦は2点差以上で勝たねばならない。
第二戦で首尾よく先制点を奪ったアントラーズは2点目を取るべく攻勢を仕掛けていた。そして後半20分過ぎ、ベルディのパウロがアントラーズゴールのペナルティエリア内で入り込んだ。その時、アントラーズDFのちょっとしたショルダーチャージにPKの笛が吹かれた。
主審は、メキシコのワールドカップでも主審を務めたことのある高田静夫であった。しかし、この男、読売クラブの出身である。何でこういう重要な試合で片方のクラブに縁のある男に主審が任されたんだ?
とにかく、誰がどう見てもPKになるようなプレーではない。が、笛が吹かれた以上、どうしようもない。そして、ベルディの三浦カズがPKスポットに歩み出そうとしたその瞬間、ジーコがPKスポットに置かれたボールに唾を吐いたのであった。
フィールドの選手も、観衆も、そしてテレビの視聴者も目を疑った。あのスーパースターで人格者のジーコがそんな愚行に出るとは…。当然の如く高田主審はジーコを退場にした。
しかし、ここでよく考えてもらいたい。なぜジーコほどの男がそのようなことをしたのかを。このジーコの唾吐き事件は世界中に広まり、誰もが、「あの神様・ジーコが…」と絶句した。が、このことによって、読売の、いや渡辺の陰謀&野心が顕わになったのだ。
この事件とJリーグ人気の衰退により、渡辺の「ベルディをサッカー界の巨人にしよう」という目論見は崩れたのであったが、ジーコの日本代表監督の目は永久に消えてしまった。
その証拠に、日本サッカー協会は、オフト退任後の日本代表監督に、ジーコもマスコミで候補に挙がっていたにもかかわらず、ジーコの僚友であったファルカンを持ってきた。日本の「に」の字も知らないファルカンを持ってきたということは、ジーコへの嫌がらせであるとともに、ジーコに「お前には絶対に日本代表監督の目はない」と言っているようなものである。
果たして、ファルカンは首をかしげるような代表選手選びをした。しかし、引退したとはいえ、その足技は衰えを知らず、代表の練習でファルカンがコーナーキックやフリーキックの手本を見せた時は、その類まれな技術に日本代表の誰もが息を飲んだという。日本の現役選手の誰よりも遥かにうまかったのだから…。
しかし、ファルカンは1994年の広島で開催されたアジア杯で韓国に負けた責任を取らされ、お払い箱になってしまった。その後任となったのが加茂周であった。その能力のなさは、彼の解説を聞けば一目瞭然であったのに、日本独特の情実人事で加茂が監督になってしまった。
そして、その後、加藤久らが「加茂ではダメなので、ネルシーニョを監督に」というレポートを作成したにもかかわらず、日本サッカー協会の長沼会長は、大学の後輩である加茂を支持した。
その際、長沼は、「彼でフランス・ワールドカップの予選を勝ち抜けなかったら、私は会長をやめる」とタンカを切ったが、長沼が会長を辞めることなどワールドカップの出場を逃した代償に全くならない。
結局、予選途中で加茂は解任され、日本代表のコーチであった岡田を監督に昇格させたが、岡田ジャパンはフランスで勝ち点を挙げることは出来ずに終わった。
岡田も、かつての教え子である城を不自然に重用するなど、情実起用を行った。それ以上に許せないのは、三浦カズと北澤をキャンプから日本に強制送還させたことであった。
トルシエは代表監督の器ではなかったが、日本サッカー協会に古い体質に風穴をあけたことは確かであった。次期監督は、日本サッカー協会のくだらないシガラミにとらわれない、しかも実績のある外国人になってもらいたいものである。
しかし、日本代表に真にふさわしい男はジーコであろう。ジーコに4年間託せばドイツ大会で好成績を残せるだろうに…。
追記:このほどジーコが正式に日本代表監督に決まった。遅きに失した感はあるが、ジーコの手腕に大いに期待したい。
追記2:ジーコがあれだけ海外組、そしてアントラーズ勢を優遇するとは…。それまでジーコを絶賛していた自分は、いったい何だったのだろうか?
追記3:ジーコジャパンがドイツワールドカップで惨敗を喫した。中田がチームワークを乱したことが敗因の1つであるが、中田に拘ったジーコに責任があることは書くまでもない。また、宮本に固執したのも不可解である。センターバックに高さもジャンプ力もない選手を使ってはいけない。そして、オーストラリア戦でも意味不明の選手交代。ジーコがここまでシャワシャワだったのは、まったくの不明であった。
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