弱小・フィリピンの頑張り

 日韓ワールドカップで韓国は開催国の特権をフルに生かし、ベスト4までいった。しかし、この快挙を素直に祝福している日本人は少ないだろう。

 マスコミは、「共催国として頑張ってほしい」との偽善じみたキャンペーンを張っていたが、きれいごとはいい加減にして欲しかった。ドイツとの準決勝戦は、ドイツのユニフォームを着て放送席に現れたさんまと同じく、多くの日本人がドイツを応援していたと思われる。

 逆に韓国人も日本を応援していなかったと聞く。日本−ベルギーで、ベルギーが先取点を挙げた時、スタジアムで見ていた韓国人記者は拍手をしたという。また、日本がトルコに敗れたことを知った韓国人は手を叩いて喜んだと聞いた。

 日本と韓国は、ワールドカップやオリンピックの予選で常にライバル関係にある。そういう両国の関係も、上記のような感情的対立とは無関係ではないだろう。今までも幾度となく両国は予選でしのぎを削ってきた。特に1968年のメキシコオリンピックの予選は凄まじい展開となった。

 当時は多くのアジアの国が政情不安で、予選にエントリーした国は、日本、韓国、フィリピンの3か国のみだった。

 予選の方式は、日本で1試合ずつ戦うというものであった。まず日本と韓国が対戦して、3−3で引き分けた。フィリピンは超弱小国だったので、日本も韓国もフィリピンから何点取れるかが勝負となった。

 そして、日本が最初にフィリピンと対決し、15−0で勝った。この15点という数字は、現在でも日本代表のAマッチ最多得点記録となっている。

 これを見た韓国関係者は、「日本が15点ならうちは20点取る」と豪語した。これに激怒したのがフィリピン関係者である。「絶対に10点以内に抑える」と言って韓国戦に臨んだ。

 フィリピンは当然の如く専守防衛作戦を採用した。それでも12点取られた。しかし、フィリピンが頑張ってくれたおかげで日本はメキシコオリンピックに参加できたのである。そして、オリンピックでは銅メダルを取り、7点を取った釜本は大会得点王となったのだった。しかし、準決勝では当時世界最強国の1つであったハンガリーに0−5で完敗している(※)。

 もしワールドカップのアジア予選で日本と韓国があいまみえたら、また激闘となるだろう。

※当時オリンピックにはプロの参加が認められていなかったので、フルメンバーが全員アマであるソ連と東ヨーロッパ諸国がオリンピックのサッカーでは猛威を振るっていた。ソ連やハンガリーをはじめとする社会主義国には、プロ選手は存在していなかったのである。


次のページへ進む 前のページへもどる
サッカーの項目へもどる トップページへもどる