W杯アルゼンチン大会@

〜カルチャーショック〜

 生まれて初めて見た1978年のアルゼンチン大会は驚きの連続だった。まず、地元アルゼンチンの熱狂ぶり。アルゼンチンの得点シーンの時は、まさにスタジアムが崩れんばかりであった。そして、あの紙吹雪。ピッチの芝が紙吹雪で見えないほどの凄い量であったが、平気で試合をやるのだから…。

 そして、見聞することすべてが耳を疑うものばかりであった。その例を挙げてみると…。

@ブラジルが一次リーグでモタモタするのに怒ったファンがリオの海岸で監督の葬式を行ったこと

Aアルゼンチンのパイロットが試合に夢中になって、飛行機が2時間も離陸しなかったこと

Bブラジルの得点に喜んだバスの運転手がハンドルを切り損ね、バスが崖下に転落したこと

C同じくブラジルの得点に喜んだ母親が抱いていた赤ん坊を放り上げ、取り損ねて床に落とし、赤ん坊を死なせてしまったこと

Dアルゼンチン戦でのペルーの無気力試合に怒ったブラジル人が隣に住んでいたペルー人の耳をナイフで裂いたこと

Eアルゼンチンサポーターがブラジル選手の安眠を妨害するため、試合の前日の晩にブラジルの宿舎の前で大騒ぎしたこと

Fアルゼンチンの試合当日、アルゼンチンの小学校の先生が後ろ髪引かれる思いで学校に行ったら生徒が誰も来ていないので、「しめた」と思い、大急ぎで家に試合を見に帰ったこと

Gアルゼンチンのアナウンサーの興奮ぶりと、ケンペスのゴールの際の「ゴォォォォ−ル」という叫び声
※無論、その迫力は船越などとは比較にならない。

H当時アルゼンチンでは反政府ゲリラ活動がかなり活発であったが、ゲリラもサッカーに夢中になるため、大会中は絶対にゲリラ活動が起こらないこと

Iヨーロッパでアルゼンチンの優勝に頭にきた人々がアルゼンチン大使館を襲ったこと

 といったように、こうした話は枚挙に暇がない。

 また、試合そのもののレベルの高さにも圧倒された。こんな凄い大会があるのかというカルチャーショックから頭を切り替えろというのは、まだ子供であった自分には無理な相談であった。

 当時の感覚からすると、日本でワールドカップを開催するなど夢のまた夢という感があった。


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