決勝戦の戦前の予想は、選手個々の力が上回るオランダ有利の声が多かった。
アルゼンチンは南半球に位置し、ワールドカップが開催される6月は冬に当たる。そのため選手は長袖を着て白い息を吐きながらプレーしていたが、こうした寒い気候条件は、むしろアウェイのオランダに有利に働くとされていた。寒い分スタミナが持つため、オランダが試合を通して持ち前のトータルフットボールを展開できると思われたのだ。
※ワールドカップを冬に開催すれば、選手のスタミナ消費も少なくて済むので、もっと動きの激しいサッカーが見られると思うのであるが…。ただ、各国リーグの都合からしてそれは不可能だろう。
決勝戦が中立の国で行われていたら、オランダがアルゼンチンをクラッシュしたと思われる。しかし、この時の試合会場は、ブエノスアイレスのリーベルプレート競技場。そして、この決勝戦でもアルゼンチンは地元の利を生かしてきた。
まず、アルゼンチンイレブンは、オランダよりも5分以上も遅れてピッチに登場してきた。キャプテンを先頭に両チームが同時に登場してくる現在の入場シーンからすれば考えられないことであるが、オランダイレブンをイライラさせるという宮本武蔵戦法をアルゼンチンは用いてきたのである。
そして、次にアルゼンチン側は、ルネ・ケルクホフが右手先にしていた包帯に執拗にアヤをつけてきた。これにはオランダ側もキレ、選手を引き上げさせかけた。包帯を薄くすることでその場はなんとか収まったが、なんとも波乱含みのスタートとなった。
試合はあちこちで一対一の局面が見られ、激しい展開となった。ともに7試合目であったが、冬でスタミナが十分なため動きが良く、見ている者をなおさら興奮させた。
今ならワールドッカップにおいても倒した相手に手を添えて起こすシーンが見られるが、この試合はそうした友好ムードはゼロ。転倒シーンでは、お互い罵り合った。
また、味方選手が倒れるとわざとボールをタッチラインの外に蹴り出して試合を止めるが、試合再開後に相手ボールにしないなどスポーツマンシップもほとんど見られなかった。
試合そのものはオランダが押し気味に進めるが、主審の露骨な地元びいきでちょっとしたことが反則に取られ、オランダはなかなか思うように攻撃が展開できないでいた。また、レップの決定的なシュートも、今大会当たりに当たっているフィジョールの超ファインプレーに阻まれてしまった。
そうこうしているうちにケンペスが得意のドリブルでオランダ守備網を突破し、ついにアルゼンチンが1点を先取。この時の場内の熱狂ぶりは凄まじいの一語に尽きた。
後半に入ると、例によってオランダが総攻撃に出てきた。そして、後半早々ハーンが狙いすましたロングシュート。しかし、これにもフィジョールが反応する。それでもひるまずにオランダは攻撃を展開するが、審判のわけのわからないホイッスルと焦りが微妙にリズムを狂わせ、実を結ばない。
ところが残り15分を切ると、今度はアルゼンチンが1点を守ろうとするあまり引き過ぎて、攻守のバランスをおかしくしてしまった。そして、ついに残り8分の時点で、オランダがアルゼンチンのオフサイドトラップのかけ損ないから同点に追いつく。この時、アルゼンチンの多くの人々は負けを覚悟したという。
さらに、オランダは同点劇の直後にアルゼンチン陣内奥深くに攻め込む。しかし、ここはフィジョールの好判断で難を逃れた。
そして後半のロスタイム、クロルの超ロングパスを受けたレンセンブリンクがシュート。が、ボールはバーを叩いた。アルゼンチン国民全員が心胆を寒からしめられた瞬間であった。
※このシーンを振り返って、アルゼンチンのキャプテン・パサレラは、「もしあの時シュートが決まっていても、審判は絶対にゴールとして認めなかっただろう」と言っている。これなど自ら審判にひいきされていたと言っているようなものであるが。
こうして試合は延長戦に持ち込まれた。当時はVゴール方式などはなく、延長戦を前後半15分ずつ戦って勝負がつかなかったら後日再試合をして、それも延長戦を含めて引き分けに終わったら、いよいよPK戦で雌雄を決するということになっていた。
※こうした方式の方が確かにすっきりする。アメリカ大会のブラジル−イタリアのPK戦は、何か釈然としないものがあった。
延長戦前半は後半の半ば過ぎまでと同じ展開になり、オランダが押し込んでは審判の不可解な笛で流れが止まるという感じであった。
そうした展開をまたしてもケンペスが打ち破った。まるで前の得点シーンの再現のようなドリブル突破を見せ、同じようにゴールを決めたのである。
この時の歓声の大きさと観衆の興奮ぶりは、この世の言葉では表せないものがあった。まさにスタジアムが崩れ落ちんばかりだった。
延長後半、オランダは最後の力を振り絞るが、今度は疲労で思うように展開できず、カウンターでケンペスに決定的なチャンスを作られ、最後はベルトーニにダメ押し点を取られてしまった。ここにオランダは力尽き、アルゼンチンは2500万国民の期待に応える歓喜の優勝を遂げたのであった。
しかし、ヨーロッパの多くの人がこの大会をワールドッカップとして認めていない。それは、上記のように様々な目に見えぬ力がアルゼンチンに働いたからである。
とはいえ、初めて見たワールドカップの熱狂と興奮は、今も忘れることはできない。そして、自分はこの大会によってワールドッカップの虜となったのである。
※もしオランダにクライフがいたら、どうなっていただろうか。クライフの活躍でオランダが優勝したに違いない。しかし、その奔放な言動とあいまって、クライフは生きてスタジアムを出られなかったのではあるまいか。
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