W杯スペイン大会@

〜大会への大きな期待〜

 アルゼンチン大会ですっかりワールドカップに魅了されたことから、4年間スペインで開かれるワールドカップを心待ちにしていた。そして、ついにその時はやってきた。

 前回は予備知識がほとんどゼロであったが、今回は前回活躍したメンバーを知っていたうえ、サッカー専門誌の予想号も読んでいたので、十分な予備知識を持って見ることとなった。果たして、スペイン大会は史上最高の大会といわれるほどレベルが高く、好試合の多い大会となったのである。

 大会の優勝候補筆頭は、文句なくブラジルであった。名将テレ・サンターナが「私のドリームチーム」と胸を張った同チームは、‘白いペレ’ジーコを筆頭に、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾ、ジュニオール、オスカール、そして、テレが最後に代表に加えたファルカンと、超豪華な陣容を誇っていた。その評価は、前年のヨーロッパ遠征で西ドイツ、イングランド、フランス相手に、横綱相撲で3連勝したことで揺るぎないものになっていたのだった。

 ブラジルに続いて高い評価を得ていたのが西ドイツである。強気で鳴るGK・シューマッヒャー以下、ブリーゲル、カルツ、カールハインツ・フェルスター、シュティーリケ、ブライトナー、ハンジ・ミュラー、ルンメニゲとワールドクラスの選手がひしめき、予選は8戦全勝、得点33、失点3と、圧倒的強さを見せたのであった。ただ、2年前のヨーロッパ優勝の立役者である若き指揮官・シュスターが代表を辞退したことが残念であった。  

 前回優勝のアルゼンチンは、優勝候補3番手であった。優勝を経験した当時の若きイレブンがほとんどそのまま残り、すでにスーパースターの称号を得ていたマラドーナとユースの得点王・ラモン=ディアスが加わったことから、連覇も十分可能とされた。  

 これら3強に続くとされたのが地元のスペイン、ここ2年間無敗のソ連、プラティニを中心に華麗なパスワークを誇るフランスであった。

 イタリアは、エースのロッシが八百長疑惑で2年間出場停止を食らってぶっつけ本番だったことから前評判は低かった。また、母国・イングランドは久々の出場であることと予選突破に苦労したことからシード国になったことに疑問視されたほどで、期待は高くなかった。イタリア、イングランドなら、むしろヨーロッパ選手権決勝で西ドイツに善戦したベルギーを買う人が多かったほどであった。

※それまで2大会連続準優勝のオランダはチームの老朽化が進み、フランス、ベルギーと組んだ厳しい予選を突破できなかった。

 今大会の大きな変更点は、参加国が16から24に増えたことである。参加国の増大を強く主張したのが当時のFIFA会長・アベランジェであった。アベランジェは、アジア、アフリカなどのいわゆるサッカーの第三勢力に門戸を広げたわけである。

 それまでの参加16か国中、アジア・オセアニアで1、アフリカで1という枠は、ヨーロッパの10に比べていくらなんでも不公平過ぎた。

 もし現在においてもそのままであったら、日本は未だにワールドッカップに出場していなかったであろう。それでもスペイン大会におけるアジアの枠は、オセアニアと合わせて2であったから、極めて狭い門であることに変わりはなかった。

 参加国が増えたことから大会のレベルが下がるとの声も聞かれたが、大会が始まるとそれは杞憂であったことがすぐに明らかになった。カメルーン、アルジェリアなどが素晴らしい活躍を見せたのである。

 参加国が24になったことから、従来の方式を変更せざるを得なくなった。それがまた後に物議を醸すことになるのであるが…。  

 スペイン大会の方式であるが、まず24か国を4か国ずつ6つのグループに分け、上位2チームが二次リーグに進出する。次に二次リーグに進出した12チームを3か国ずつ4グループに分け、それぞれの上位1チームが準決勝に進出するという方式は採用された。なかなかユニークな方式かと思われたが、このやり方は今回が最初で最後になった。

 そして、いよいよアルゼンチン−ベルギーによって、大会の幕が切って落とされた。

 開幕戦には1966年のイングランド大会まで開催国が登場していたが、1970年のメキシコ大会以降、前回優勝国が試合することになった。そのため、いきなりディフェンディングチャンピオンのアルゼンチンがその勇姿を見せたのである。

 当時、開幕戦は0−0の試合が続いていたが、スペイン大会の開幕戦のアルゼンチン−ベルギーは20年ぶりに決着した。

 試合は、ベルギーの巧妙なディフェンスでマラドーナがなかなか見せ場を作れないなど、膠着状態が後半の半ばまで続いた。しかし、後半の半ば過ぎ、カウンターアタックからベルギーが1点を先取。

 その後、アルゼンチンも反撃に出るが、マラドーナのフリーキックがポストに当たるなどしてアルゼンチンは得点を挙げられず、非常に痛い星を落としてしまった。なぜなら、この敗戦によって二次リーグの組み合わせが大きく変わったからである。

 アルゼンチンが一次リーグで2位になったことから、二次リーグC組は、ブラジル、アルゼンチン、イタリアというとんでもない組み合わせになってしまったのである。


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