W杯スペイン大会A

〜激闘、ブラジル−ソ連〜
 VS 

 南米とヨーロッパと対決と言われたスペインワールドカップ。大会2日目も、ブラジル−ソ連という南米とヨーロッパのカードが見られた。場所は、スペイン南部のアンダルシア地方のセビリアであった。

※セビリアは情熱的なスペインの中でも最も情熱的なところであり、カルメンやロッシーニの歌曲「セビリアの理髪師」で有名である。また、当地にはアラビア人との混血が多く、女性は黒髪・黒い瞳の美人が多いことでも知られる。なんでも当地を訪れた後輩によると、2人に1人は藤原紀香レベルとのことであった。

 試合会場の盛り上がりはすさまじく、ブラジルから大応援団が飛行機、船でかけつけ、試合開始2時間前から、サンバの太鼓と笛が鳴り響きわたっていた。

 ブラジルの人々は、4年間ワールドカップを見に行くために働きに働いてお金を貯め、ワールドカップの直前に仕事をやめる。そして、また次のワールドカップでブラジルをサポートしに行くために4年間仕事に勤しむのである。

 したがって、彼らのワールドカップにかける意気込みは半端ではないのだ。とくに今回のチームはこれだけのメンバーが揃い、その期待は頂点に達していた。

 当時のブラジルのフォーメーションは、両ウィングを置く4−3−3。そして要はなんといっても、中盤のジーコ、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾだった。

 ただし、一次リーグ初戦のソ連戦はトニーニョ・セレーゾが出場停止になっていたので、代わりにファルカンが出場することとなった。しかし、このファルカン、実力はジーコと並ぶと言われ、その底知れぬ実力を間もなく全世界に知らしめることになる。

 一方のソ連も強チームであった。守備を固めた組織プレーをベースに、個人技に優れたグルジア人を加え、そのスピードサッカーにより研きがかかっていた。実際、2年間国際試合に無敗で、予選8試合において22得点で失点は2。また、1年前にはブラジルに乗り込んで、2−1でブラジルに土をつけていた。その政治体制とあいまって、まさに不気味な存在のソ連。史上最強チームとも言われたブラジルの試金石としてこれ以上ない相手であった。

※キャプテンでリベロのチバーゼ、右SBのスラクベリーゼなどがグルジア人であった。グルジアの前首相のシュワルナゼもそうであるが、〜ゼという苗字はグルジア人に特有のものである。

※この試合を一層盛り上げたのは、実況の羽佐間アナである。その力のこもったアナウンスと数々の名言は、さすがとしか言いようがない。その試合でとくに印象に残るフレーズは、「その名もソクラテス、冷静です」、「ゴール前、ソビエトの赤い壁」である。

 この時のブラジルのスタイルは、まさに攻撃一辺倒。一方のソ連も当時は全員がアマチュアであり、駆け引きなど及びもつかないことから常に全力プレーを展開した。

 そうすると、どうなるか? 試合は予想通りノーガードの打ち合いとなった。とくにブラジルの左サイドバックのジュニオールは最初から上がり放しであった。  

 そして試合は実力に勝るブラジルが押し気味に進め、ジーコ、ジュニオール、セルジーニョらが次々にシュートを打った。

 しかし、ヤシンの後継者といわれるソ連GK・ダサエフの好守やセルジーニョのふかしなどにより、得点には至らない。

 そして前半の20分過ぎ、ソ連MFバルの何でもないロングシュートをブラジルのGK・パウジール=ペレスが後ろにそらすという信じがたいプレーでソ連が1点を先取した。

 これで試合はますます白熱した。後半になるとブラジルはより攻撃的になった。

 まず、右のウィングを左利きのディルセウから本職のパウロ・イシドロに代える。そして、前半は守備に専念していたファルカンがどんどん攻撃に参加する。さらに、右サイドバックのレアンドロもひっきりなしに上がるようになった。

 その間、ブラジルは、壁パス、スルーパス、ドリブル突破、ロングシュートと、ありとあらえる攻撃を見せた。

 この間のボール支配率はなんと8割。これだけボールを支配して豪華メンバーが華麗な技を見せるのだから、見ている者はたまらない。

 しかし、ソ連もゴール前に釘付けにされながらも粘りに粘る。

 そして、後半も30分近くを経過した。ブラジルの名将テレ・サンターナも、「ああいう形での失点。そして、この嫌な展開。1点を追いつくのは難しいかもしれない」と思い始めた。

 後半28分、守備を厚くするためソ連はCFのガブリロフを交代させたが、ここにちょっとした間隙ができた。ソ連DFのクリアを拾ったソクラテスがDFを2人かわして、豪快なミドルシュートをゴールの隅に突き刺した。ファインプレー連発のダサエフもさすがにこの強烈なシュートを止めることはできず、ついにブラジルが1−1の同点に追いついた。

 同点になって意気あがるブラジルは、勝ち越し点を奪うべく、さらに激しい攻撃を仕掛けてきた。

 とくに後半35分前後の猛攻は、すさまじいの一語に尽きた。ジーコ、ソクラテス、ファルカンらが矢継ぎ早にシュートを放つ。

 そして、終了3分前、ついに決勝点が生まれる。

 ソ連陣内右深くでボールをキープしていたイシドロからゴール前にパスが出る。それをファルカンがスルーし、左から駆け込んだエデルが左足を一閃。ボールは悪魔のような軌道を描いて、ゴールに吸い込まれた。結局、これが決勝点になり、ブラジルは4回目の優勝へ順調なスタートを切ったのであった。

 こういう試合をものにするというのは並大抵のことではない。真の実力があってこそのものだろう。この試合でブラジルの真の実力をまざまざと見た者は、誰もがブラジルの優勝を信じて疑わなかった…。



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