この3点目はいろいろと問題があった点であったが、なんといっても、イタリアにコーナーキックを与えることになったゴールキーパー・ペレスの処理ミスが痛かった。
ペレスはソビエト戦でも危うく致命傷になるようなミスを犯しているが、当時、他にいいキーパーはいなかったのだろうか?
実は、エメルソン・レオンがいたのである。レオンとは、清水グランパスエイトの監督を務めたあのレオンである。
レオンは、前回、前々回のW杯で活躍し、当然この大会もレギュラーとして期待されていた。しかし、テレ・サンターナ監督と衝突し、代表に呼ばれなかったのである。レオンがいれば、センターフォワード以上の弱点であったキーパーの不安も解消されていたであろうが…。
※レオンは、ブラジル史上屈指の名GKであろう。特に1974年の二次リーグにおいてクライフのシュートをものすごい反射神経で防いだプレーは、自分が見たキーパーのファインプレーでも1、2である。
※レオンは、エスパルスの監督時代、NHKの衛星放送に招かれたことがある。その時、「なぜ、ブラジルは82年の時、あのすごいチームで優勝できなかったのか」と問われ、「ああ、あのチームは監督がバカだったからだよ」と答えていた。
※レオンの言動は、奔放な振る舞いも許されるブラジルにおいても問題視されていた。ソクラテスも、「人間の性格には20の悪いところがある。それを知りたければ、レオンのところに行けばいい。全部そろっているから」と言っていたほどである。
3度リードされショックを隠せないブラジルイレブンであったが気を取り直し、またもやゴール目指して、攻撃を展開していった。
イタリアDFは同点にされて崩れかけたが、ゾフの叱咤もあり、また統制が復活し、ブラジルの必死の攻撃を何度となく堪えた。
こうなるとさしものブラジルにも焦りが出る。ジーコはトップに上がり続けて、かえってジェンチーレのマークを受け、エデルは無理な位置からの強引なシュートを何度となく打ち、流れを止めてしまった。
そして、残りはついに3分。ブラジルはイタリアゴールの右サイドでフリーキックを得る。エデルが蹴ったキックは、上がって来ていたオスカールのヘッドにピタリと合う。
誰もが同点ゴールと思った瞬間、ゾフがゴールライン上でボールを押さえていたのが映った。この瞬間、ブラジルで心臓麻痺で亡くなった人が出たという。
しかし、まだ試合は終わっていない。残り1分、今度はブラジルがコーナーキックを得る。当然の如く全選手がゴール前に上がってきた。
ところが、あろうことか、エデルのキックは大きく逸れてしまった。それをファルカンが懸命に拾い、ゴール前へクロスを入れる。これもイタリアDF陣がクリア。しかし、またコーナーキックのチャンスだ。
この時、ロスタイムに入った。当時、ロスタイムはほとんどない。したがって、これがブラジル最後のチャンスとなろう。
エデルが蹴ったボールは今度はゴール正面に飛ぶ。セレーゾがオーバーヘッドキックをしようとしたが、カブリーニの顔を蹴ってしまった。ここでブラジルにとっては絶望的なイタリアボールとなった。そして、ゾフが大きく蹴り出したところで試合終了のホイッスルが鳴った。
あのブラジルが負けた。誰に聞いても優勝間違いなしといわれたブラジルが負けるとは…。誰もが、この事実を受け入れらなかった。
試合終了の時、ソクラテス以下ブラジルイレブンは取り乱すこともなく、潔くイタリアイレブンとユニフォームを交換した。しかし、がっくりと肩を落としてピッチを去ったジーコは失望を隠せないでいた。
この敗戦により、悲報が幾つか寄せられた。ブラジルが敗れた瞬間、心臓麻痺で数人亡くなり、自殺者も出たという。自国のチームが負けたくらいで自殺とするというのは、当時は信じられなかったが、今は理解できるようになった。
※また、自殺者の中には、ブラジルの優勝に信じられないような大金を賭けていて、それが払えないことから自殺した人もいたようであった。
当然の如く、この試合の敗因がいろいろと取り沙汰された。
@なぜ、センターフォワードとキーパーに別の選手を起用しなかったのか? それまでうまくいっていたので、それは結果論というものであろう。
Aなぜ、同点になった後、勝ちに拘ったのか? そして、なぜ、セレーゾに代えて、守備に強いバチスタを入れなかったのか? サンターナ監督の辞書には引き分けはなかったし、セレーゾを高く評価していたので、交代はあり得ないことであった。
B日程に問題はなかったのか? 3チームにより総当たり戦は、どうしても日程の有利・不利が生まれる。イタリアは中5日、ブラジルは中2日で当日の試合を迎えたから、体力的にイタリアが有利だったのではないかと言われた。結局、今大会以降、奇数チームによる総当たり戦は行われなくなった。
まさに百家争鳴であったが、いまさら何を言っても虚しいというものだろう。
宿舎に失意の思いで帰ったイレブンを待っていたのは、ファンの暖かい声援であった。「最高のものが勝つとは限らない」という横断幕もあったという。
ブラジルでは負けたチームが歓迎されるということは考えられないが、この時ばかりは例外であった。そして、帰国したイレブンも暖かく迎えられたのであった。
ブラジル国民には今もこのチームが頭にあるため、優勝したとはいえ、1994年や2002年のチームに満足していない。
それは当然であろう。あのチームを見た者にとって、1994年や2002年のチームなど物の数ではない。
敗れたりといえども最高のチーム。リアルタイムであれだけの素晴らしいチームを見られたことを幸運と言わず何と言うのか。もう再びあのようなチームが誕生することはないのではないだろうか。
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