中東紛争・前編          

                   
 またぞろパレスチナ地方がキナ臭くなっている。なぜ、かの地で紛争が繰り返されるのであろうか。それを知るには、イスラエルを構成するユダヤ人の艱難辛苦の歴史と、パレスチナ地方に先祖代々暮らしてきたアラブ人の存在を顧みなければならない。

 紀元前、パレスチナ地方ではユダヤ人とアラブ人が共存共栄していた。そして紀元前10世紀から8世紀にかけて、ユダヤ人によるヘブライ統一王国が栄え、ダビィデ王、ソロモン王の時代に全盛期を迎えた。

 ところが、紀元前6世紀にユダヤ人はバビロンに捕囚されてしまった。やがてペルシア人の手によってバビロンから解放されると、唯一神ヤハウェとの教えを守るユダヤ人だけが救われるという選民思想がユダヤ人の間に広まった。ユダヤ人でありながら選民思想を否定したイエスは、ユダヤ教徒によって十字架で処刑されたのであった。

 ユダヤ人のこうした民族的優越感や排他的な思想は他の他国の反感を買うこととなる。そして、紀元〜1世紀頃、ユダヤ人は、当時最強国であったローマ帝国によって徹底的に殲滅されたのであった。また生き残ったユダヤ人もパレスチナの地を追われ、世界各地に四散していった。

 世界各地に散ったユダヤ人であるが、彼らは決して自分達の信仰を捨てず、いつの日にか再びパレスチナの地に自分達の国を持つことを夢見て、子々孫々あらゆる迫害に耐えたのであった。

 時代は飛んで1917年。当時、パレスチナはイギリスが支配していた。そこで第一次世界大戦で苦戦するイギリスは、ユダヤ金融資本の協力を引き出すため、外相バルフォアがパレスチナの地にユダヤ人国家の建設を約束する書簡を出した。ユダヤ人は商才に長け、ロスチャイルド家など大富豪が多かったのだ。

 バルフォア宣言が出されると、ユダヤ人が続々とパレスチナの地に移住してきた。また第二次世界大戦の終結に伴い、ナチスのユダヤ人狩りを逃れた人々がパレスチナの地に殺到した。ついに1948年にユダヤ人はイスラエルの独立を宣言した。ここに2000年来のユダヤ人の夢が実現したのだった。

 しかし、ユダヤ人の移住によって、パレスチナの地に居住していアラブ人は土地を失い、周辺のアラブ諸国へ難民となって流れていった。そこでパレスチナ難民を支援するエジプト、シリア、レバノン、ヨルダン、イラクのアラブ諸国正規軍がパレスチナに侵攻してきたのである。

 潤沢な資金力とアメリカの協力を背景に持つイスラエル軍は強力で、第一次中東戦争はイスラエルの勝利に終わった。しかし、この戦争はこれから連綿と続く中東紛争の序章に過ぎなかったのである。


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