号泣・ポーランド消滅
        

 ポーランドは、18世紀後半、貴族間の不毛な争いにより、国力が著しく衰えていた。これを見たロシアのエカチェリーナ2世は、ポーランド侵略を企てた。ロシアの西方進出を恐れたプロイセンのフリードリヒ2世は、オーストリアとともに、ロシアにポーランドの分割を提案したのであった。

 そして3国は各々国境に近いポーランド領を奪い、続いてフランス革命のどさくさにまぎれて、ロシアとプロイセンは2回目のポーランド分割を行った。これに対して愛国者・コシューシコは義勇兵を募って戦ったが敗れ、3国によるポーランド分割が完成し、ポーランドは地図上から消えた。

 ポーランドでは、学校における自国史の時間でこの18世紀後半のポーランド分割の話になると、教師も生徒も号泣しながら授業をするという。それほど国家が消滅するというのは、その国民にとって絶えられないことなのである。領土、領民、主権は、国家の3要素であり、領土を失うということは、国の消滅を意味するからである。

 ポーランドは、第二次世界大戦時においてあっという間にドイツに蹂躙されてしまった。西にヒトラー、東にスターリンでは、大概の国が地図上から抹殺されるだろう。そうでなくてもポーランドの兵力は貧弱で、1939年9月1日にドイツの機甲戦車が雪崩込んで来た際に騎馬隊で立ち向かったという。むろんこの後、ドイツ軍にあっという間に蹂躙され、1か月ほどでポーランドは降伏してしまった。

 ポーランドは、第二次世界大戦後にソ連傘下に入り、社会主義化したが、農地は集団化されず、ほとんどが個人農で占められていた。これは、再三領土を失ってきたことから農地の集団化に頑として農民が応じなかったからである。ポーランド国歌にも、「ポーランドは死なず、我らの大地はなんたらかんたら」と、土地に対する執着が歌われている。


※ポーランドの三大英雄は、愛国の士・コシューシコ、ピアノの詩人・ショパン、連帯の議長ワレサである。コペルニクス、キューリー夫人、ローマ法王・ヨハネ=パウロ2世は選外。また、ポーランドサッカー最大のスターは、1982年スペインワールドカップの英雄・ボニェク。GKのトマシェフスキー、DFのゴルゴン、ジムダ、MFのディナ、FWのラトー、ガドハ、ルバンスキーも名プレーヤーとして有名である。


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